篠山の歴史を知る「篠山町75年史」ー「交通・通信(橋梁)」

橋梁

京口橋
古の豊篠橋で後京口橋と改名されたものである。此の橋梁は、園部三田線、川西三田線、篠山亀岡線等、重要路線の重複している交通上極めて重要な橋梁であるが、明治40年の大洪水で木橋が流出して以来、明治41年と、大正11年に架替えたが、又もや昭和5年7月、洪水で流失したので、昭和7年4月16日、鉄筋コンクリート架橋として永久橋となった。
 
監物橋
城南渋谷監物(域は酒井監物?)の名をとって命名された橋で篠山町二大架橋の一つである。従来は木橋であったため 再三洪水に被害を蒙り、明治39年、大正5年等頻々として架橋を余儀なくされていたが、重要路線篠山三田線の玄関口にあるので、昭和8年4月28日鉄筋コンクリート永久橋となり約20メートル下流へ架替えられた。
 
割橋場
 
旧橋は昭和8年10月架橋にかかる木橋で20年を経過し腐朽していた上、昭和28年9月台風13号の洪水のため大破した。山崎町長は此の道路が篠山町の中心部官衛街に通ずる重要路線であるのみならず、屡々災害を蒙り通行人に不便を与えるので、姑息な木橋を廃し鉄骨合成桁架橋とし、尚将来の発展性を見越して幅員を拡張した。昭和29年3月3日竣工、同日幼稚園児の渡初式を挙行した。工事請負大阪日本橋梁株式会社、工費120万円。
 

其の他の架橋

櫻橋
昭和28年1月5日、東濠端より立町に通ずる道路開通の附帶工事として新橋架設起工、同3月2日竣工、桜橋と命名し道路開通式を兼ね、渡初式を挙行した。
 
小川橋
大正6年架替えられたままの木橋で、黒岡川切落し工事により河床は低下して、洪水毎に危険に頻しているが、県道であって、永久橋に架替えられる運びに至らない。
 
新開橋
昭和26年、黒岡川改修、切落し工事により南新町を東西に両断したので新たに架橋された木橋である。
 
来尊橋
明治43年、東新町黒岡分より立町に通ずる道路開通の際新設架橋され、其の後大正6年8月20日架替え、更に昭和27年架替えたが、この際交通頻繁のため幅員を拡張した木橋である。
 
中橋
昭和9年4月、鉄筋コンクリート橋に架け替えられた。
 
矢竹橋
大正3年7月30日架替竣工したもので、既に老朽しているが、此の道路は濠端より監物へ直通の通路開拓以来交通量は甚しく減少した。
 
御廐橋
大正4年2月20日架替えられたものである。
 

このページの記事は「2004年トライやる・ウィーク」で篠山市立篠山中学校の2年生3名が作成したものです。

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